タイのクーデター 泥沼の始まりか

戒厳令からクーデターに

 タイで軍部が中立的立場から混乱回避を目指すと称し、戒厳令を敷いていたが、22日クーデターに移行した。
 タイの混乱は2月の下院議員選挙が無効となったことが始まりだ。反タクシン派が選挙を妨害したため、全国375の選挙区のうち28の選挙区で投票が行えなかった。これを理由に、反タクシン勢力の一画憲法裁判所が選挙を無効とし、上院だけが残ることになった。さらにインラックが憲法裁判所により首相を失職させられた。
 そのため、下院議員選挙をいつ行うのか、臨時の首相職に誰がつくのかで紛糾した。タクシン派は選挙すれば勝つ自信があるため、早く選挙をすべきだと主張し、反タクシン派は選挙ではなく、有識者を中心とした組織で国家運営をすべきだと主張した。
 さらに臨時首相も、タクシン派は副首相の二ワットタムロンをこれに充て選挙内閣とすべきだと主張。反タクシン派は上院で首相を選ぶべきだとした。下院は全議員が選挙で選ばれるが、上院は約半数が憲法裁判所裁判長、選挙管理委員会委員長など7名の指名委員会が選考するため、必ずしも民意を正確に反映していない。というよりは反タクシン派に有利な構成となっている。当然上院が臨時首相を選ぶとなれば、それは反タクシン派となり、反タクシン派が現職議員を切り崩して多数工作を成功させるまでは選挙は延期されることになる。
 陸軍のプラユット司令官は、戒厳令後、内閣に総辞職するよう求めたが、タクシン派がこれに応ずるはずがなく、プラユットはクーデターに切り替えたという。今後は陸海空軍や警察の首脳で構成する「国家平和秩序維持評議会」が国家運営にあたることになる。王制を除き、憲法が停止されているため、どんな統治機構を設けようと自由ということになろうが、軍政を敷き続ける訳にもいかず、今後の政権の受け皿が気になる。

タクシン派の動向は?

 ただ、タイでは選挙により3度タクシン派が政権を取ったが、その都度、クーデターや憲法裁判所の力で政権を失わされてきた経緯があるだけに、タクシン派が軍の指示に素直に従うとは思われない。特に「選挙をして勝っても、また軍や裁判所によって政権から追われるだけ」と考えれば、選挙以外の方法で政権を取るしかないと考える可能性もある。

プミポン国王の存在

 タイ政局に大きな転換点があるとしたら、プミポン国王の存在だろう。タクシン派は、国王-軍部-憲法裁判所が三位一体になって、抑圧されてきたという思いがあって、国王には批判的だ。ただ同国王に対する国民の崇拝の念は絶対であり、それが反タクシン派の暴発の歯止めになっていた。プミポン国王は高齢で、健康状態も悪化していると聞く。もしプミポン国王が逝去となると、現王室に国王に匹敵するカリスマ的存在はいないため、一挙に政局が動く可能性もある。
 国王は心情的には反タクシンだが、ただ、国を二分するような騒乱は望んでおらず、穏健的な措置を望んでいるだろうが、国王が亡くなれば、軍も歯止めが利かなくなるだろう。

上院の機能停止(5.26追補)

 タイのプラユット陸軍司令官は当初上院はそのままにしておいたが、24日、上院の機能を停止し、議会権限を引き継いだ。反タクシン派の穏健派は、自派に有利な上院で臨時首相を選任する意見を持っていたが、軍はそういった民主主義的装飾も不要と考えているらしい。
 プラユット陸軍司令官が26日にテレビ演説し、暫定憲法の公布や立法議会の設置を含む今後の措置について説明すると伝えた。演説に先立って26日午前に、プラユット氏を評議会議長として了承するプミポン国王の勅令が出される予定という。彼は国民和解が成立するまでは、軍政を敷くとしている。しかし、タクシンと反タクシンの間で和解は成立しようがない。となれば、反タクシンで国論がまとまるまでは、軍政を敷くということにもなりかねず、軍政の長期化も危惧される。
彼は、憲法を改正し、間接選挙という仕組みの中で軍の意向に沿うグループが当選する仕組みを作るのではないか。かつてのインドネシアのゴルカル的な組織を作るのかもしれない。