検察法改正問題の本質

今回の検察法改正は、役職定年制と内閣の判断による定年延長を認めることにより、検察権力を内閣の統制下に置くものです。内閣が与党に基盤を置くことからすれば、検察のトップ人事に民主主義を貫徹しようというものと言えます。

この点を徹底しているのが米国であり、検察人事はもちろん、官庁の役職者、各国大使等、何千人もが大統領によって任命されるため、この制度は猟官制度と言われています。司法長官は、日本で言えば法務省トップ、検事総長内閣法制局長官といった官職ですが、大臣としての位置づけであり、大統領が専任するのは当然ということになります。米国も独立が、大英帝国の官僚との対決から生じたこと、植民地というゼロから始まった国のため、政府も自分たち国民がゼロから築き上げたという自負が有るため、米国民主主義の基本は、官僚国家の否定にあり、その現れとして猟官制度があります。

これと対局にあるのが、欧州の三権分立重視の思想です。欧州の三権分立は、モンテスキューの思想が始まりですが、フランス革命後、王党派と共和国派の対立というより、共和国派同士が血で血を洗う争いをしてきたことから、多数派民主主義に対する懐疑が有り、権力が互いにチェックとコントロールをし、国民の権利を守るという発想が強くなりました。フランス,ECが強固な官僚国家であることの理由がここにあります。

検察法改正は、米国型モデルからすれば、民主主義の帰結として当然ということになりますが、欧州モデルからすると、三権分立を危うくするものという評価になります。

ただ米国型モデルも、大統領の強大な権限をコントロールするため、大統領の職務室での電話は記録されており、情報公開が徹底され、恣意的な権力行使には二重三重の監視体制が構築されています。我が国が、米国型モデルに従い、検事総長を事実上の内閣のコントロールに置くということであれば、内閣が恣意的な権力行使をしないようこれを監視するシステムが必要だと思いますが、そのようなシステムが日本にあるとは思われません。

もりかけ、桜問題で、行政が公文書を隠匿、紛失、過度のマスキングが行われている中で、内閣に専制的権力を与えるのは、あまりにリスクが大きい。