一澤帆布遺言無効確認訴訟 科捜研OBの鑑定にNO

新聞報道から

人気かばん店「一澤帆布工業」(京都市)の相続をめぐり、前会長の一澤信夫氏の三男で前社長の信三郎氏の妻が「前会長の遺言書は偽造」として無効確認を求めた訴訟の控訴審判決が08年11月27日、大阪高裁であった。大和陽一郎裁判長は、原告側の請求を棄却した1審京都地裁判決を取り消し、遺言書を無効とする逆転判決を言い渡した。三男を社長から解任した05年の臨時株主総会の決議も取り消した。
信夫氏には内容が違う2つ遺言書があった。一澤帆布株の大半を三男夫妻に贈与するとの内容で弁護士に預けられていた97年作成の第1遺言書と、一澤帆布株の5分の4を長男の信太郎氏(現社長)、残りを四男に譲渡するとした長男保管の00年作成の第2遺言書がそれである。
後述のように、内容の矛盾する遺言があった場合、新しい方が優先するため、この第2遺言書が本物かどうかが争われた。
判決は、長男・四男側提出の筆跡鑑定に疑問を呈し、また、生前の信夫氏が「一澤」の文字にこだわっていたのに、遺言書で「一沢」の認め印が使用されているのは「極めて不自然」と判断。が有効と指摘し、長男と四男だけが出席して三男夫妻を役員から解任した臨時株主総会の決議は「議決権数が過半数に達しておらず違法」とした。
(関西産経  2008年11月28日 を一部参考)

一澤帆布

一澤帆布は、1905年創立。当初は、ズック生地(学校の上履きに使われている、ごわごわした厚手の綿製の生地)を使って牛乳屋、大工などの職人用カバンの製造を行っていた。次第にリュックサックはトートバッグを作るようになり、人気を博すようになった。80年ころのプレッピーブームのとき(ボートハウスのトレーナーが流行っていた時代です)、L.L.Beanのトートバッグが流行した。そのとき、日本にもトラディッショナルなトートバッグがあるんやで、といきなり脚光を浴びるようになったのが、流行のきっかけではなかったか。そのころは職人カバン程度のデザインだったが、次第に女性ファンが広がり、今はずいぶんおしゃれなバッグを作っている。
信三郎帆布のHPです
http://www.ichizawashinzaburohanpu.co.jp/cgi-bin/index.cgi

お家騒動

一澤帆布は、三代目の信夫氏が高齢で身を引いてからは、三男の信三郎氏が社長となって、一澤帆布を築いてきた。しかし01年に信夫氏が急逝。株の大半を信三郎夫婦にやるという97年作成の遺言書と、株を長男と四男だけにやるという00年作成遺言書の二つが出てきた。遺言書は後に作成されたものが優先するというのが民法だ。遺言書が両方とも本物となると、00年作成の遺言書が有効となる。
結局、信三郎氏は長男と四男だけで開いた株主総会で、代表取締役を解任され、長男が新たに代表取締役になった。
しかし、職人が反発、職人全員が信三郎氏と一緒になって信三郎帆布という別会社を立ち上げ、そちらに移ってしまった。

二つの判決

実はこの訴訟に先立って、信三郎氏が長男、四男に対して第2遺言書の無効を確認する訴訟を提起し、そちらの訴訟は第2遺言書を本物と認め、信三郎氏が敗訴している(最高裁でも上告棄却ないし不受理)。しかし民事裁判では、訴訟当事者が別なら、裁判所は内容の異なる判決をすることができる。第一遺言書では、信三郎氏の妻も株式を相続していたため、今度は妻が原告になって、第2遺言書の偽造を主張するとともに、信三郎氏を代表取締役から解任した株主総会決議を無効とする訴訟を起こしたのである。

この裁判で明らかになった筆跡鑑定のいい加減

私も、裁判で筆跡鑑定を依頼したことは何度かあるが、結構いい加減なものである。本人が書いたことに間違いない文書と、本人が書いたかどうか争いのある文書を比べ、その双方に共通して使用される文字を比べ、両方この個所が右上がりになっているから真筆だとか、この個所でこっちはハネがあるが、そっちはハネがないから偽筆だとか、そういった程度の鑑定なのである。

筆跡鑑定人の素性

筆跡鑑定には系統だった学問も存在しないし、国家資格もない。だから筆跡鑑定を名乗っているのは、書家であったり、科捜研OBだったりする。
科捜研とは、科学捜査研究所の略。都道府県警察の中の一組織であり、証拠物の科学的鑑定を行っている。前述したような筆跡鑑定のほかにも、覚せい剤容疑者の尿から覚せい剤物質由来成分を検出したり、毒物を検出・特定したり、声紋鑑定、DNA鑑定も行う。日本のドラマで沢口靖子主演の「科捜研の女」の舞台となっているほか、米ドラマの「CSI」の科学捜査班もこの科捜研にあたる。
どこの科捜研にも、必ず文書鑑定担当がいて、脅迫文書の筆跡を鑑定したりしている。そしてこの科捜研の文書鑑定担当のOBが、事務所を開業し、筆跡鑑定を行っていることが多いのである。

大学研究者に負けた科捜研OB

今回の裁判で長男、四男から依頼を受けた鑑定書を書いた3人の筆跡鑑定人のすべてがこの科捜研OBだった。筆跡鑑定には確立した技術も、スタンダードもなく、個々の技術はバラバラ。そうした中で、唯一公的権威を持った科捜研OBを裁判所は信頼しがちだ。なんせ、彼らの筆跡鑑定が決め手となって、有罪判決が書かれるのだから、彼らの技量に疑いが持たれるということは、日本の刑事裁判の根幹を揺るがせかねない。
しかし所詮その鑑定技術も、この字は右上がりだが、この字は上がっていない等々といった、外形的な特徴を比較するだけのもの。「共通する文字が百文字あったとして、類似性が過半であれば同一筆者と判断する。基本的に目視だが、自覚の角度を測って数値を解析する場合もある」と科捜研OBは語る(東京新聞08年11月19日朝刊)。
上記判決は、科捜研OBの鑑定手法を次のように批判した。
・偽造しようとすれば、当然本人の筆に似せて書こうとするため、似てくるのは当然であり、共通点、類似点が多く存在したからといって直ちに真筆とは認められない。
・類似性を認める基準が必ずしも明確ではない。
・文字の一部を選定し、比較対照しているが、その選定が恣意的。
そうして、この3人の科捜研OBの鑑定は否定され、文字文化形象論を専門とする魚住和晃神戸大学教授の鑑定が採用されたのである。
魚住教授は科捜研OBの問題点を次のように指摘する。
「ある筆跡鑑定者の経歴には、科捜研時代の24年間に携わった文書鑑定は4000件以上とあった。年に300回勤務したとしても2日に1件のペース。これだけ性急に処理した鑑定結果が信頼に値するのか。民間業者になってからも、同様に4日足らずで一件処理していた。」「科学捜査とは名ばかりで、経験と勘に頼ったもの。科学なら客観的、論理的な方法にすべきだろう。筆跡鑑定の分野だけが非科学的。そうしたい勢力が多い構造が問題」
東京新聞前記記事)
鑑定人の作業としては、鑑定書作成(いい加減な鑑定でも、もっともらしく見せる仕掛け)のほうにかなり時間をとられるはずだから、実際に鑑定に要した時間はこのうちの1割程度かもしれない。

魚住鑑定の内容

魚住鑑定は「喜」の第1画から第3画までの部分に着目する。第1遺言では「土」となっており、第2遺言では「士」となっている。多くの人が「士」と書くが、書道の素養がある人が書くと優美に見せるため「土」と書くという。先代社長は書道を嗜んでいた。魚住鑑定は「布」の第1画から第2画の「ナ」の部分にも着目する。第1遺言では、「ー」が第1画、第2遺言では「ノ」が第1画となっている。

判決の影響力

この判決は、科捜研の鑑定技術に疑問を呈したことに、大きな意義がある。科捜研の元OB3人の筆跡鑑定能力、鑑定技法に疑問符がつけられたのである。そうなると、刑事事件で筆跡鑑定が争点となって有罪、無罪が争われてきたケースについても、大きな影響がある。