膨大な死者を発生させた 新疆ウィグル自治区での核実験

新彊ウィグル自治区内での中国核実験 住民19万人が死亡

中国は64年から96年にかけて、新疆ウィグル自治区にあるロプノル核実験場で(シルクロードの要衝楼蘭の近く)、合計46回の核実験を行った。札幌医大の高田純教授が、今年08年に出版した「中国の核実験」の中で、この核実験のため致死レベルの放射線を浴びて死亡した住人は19万人と推定されると発表している。
死に至らなくても、被曝によって健康面で影響を受ける地域には129万人が住んでおり、これら住民の健康被害は計り知れないものがある。
旧ソ連は、中国の核実験の実態を調べるため、新疆ウィグル自治区の隣のカザフスタンで、中国から飛来する核分裂生成物質を分析していた。同教授は、この数値データを入手し分析した結果、前記研究結果を得ることができたという。
東京新聞08年11月21日朝刊)

他国に例のないメガトン級の地表核爆発

46回の実験のうちメガトン級の地表核爆発は67年、73年、76年の3回行われた。核実験を地表で行った場合、核汚染された土壌の粉じんを巻き上げるため、空中、地下実験よりも甚大な放射線災害をもたらすとされている。そして中国は、これらの核実験を、カザフスタン方向に風が吹いているときを(北京方向に行かないように)狙って行った(76年については気候データがないため推測)。
この3回のメガトン級核実験は、すべて文化大革命(66〜76年)の時代に行われている。この文化大革命は、大躍進運動で自国民を大量餓死させた毛沢東が一時期政治的影響力を弱め、実務派が中国の実験を握ったことに対し、毛派勢力が「造反有理」の標語の元、学生を扇動し狂信的革命戦士に仕立てて行った、下から上への党内革命である。この時期、毛沢東の独裁体制が復活し、国内の批判勢力が一掃されたため、毛沢東はこのような危険な核実験を自由に行うことができたのである。

新疆ウィグル自治区とは

新疆ウィグル自治区は中国政府の呼称であり、独立勢力は東トルキスタンと呼んでいる。独立勢力は中国政府が民族浄化を図っているとして次の主張をしている。
1 中国に編入された1949年以降、反右派闘争でウィグル人幹部が粛清され、大躍進運動で1000万人ほどが餓死した。
2 政府は漢民族の移植を積極的に図っており、1000万人もの漢民族が入植した。
3 ウィグル人のみ厳しい出生制限を強いられ、出生率は日本の10分の1
上記数字の真偽は確かめようがないが、独立勢力は、中国政府は、民族浄化の一手段として新疆ウィグル自治区で核実験を行ったとしており、反政府感情の大きな一因となっている。