ソニー モノ作り企業の終焉

ソニーのトップが後退

 ソニーは、中鉢良治社長が副会長職に更迭。ハワード・ストリンガー会長が社長も兼ねる体制になったという。中鉢社長は不振のエレクトロニクス事業部の建て直しをはかり、「テレビの復活なくしてソニーの復活なし」と、モノ作り企業としての復権を訴えた。そして、ソフト部門はストリンガー会長が、エレクトロニクス事業は中鉢社長が、という二人三脚体制で来ていた。
 2月28日付日経朝刊等によると、今後テレビ等のエレクトニクス部門には大ナタが振るわれるらしい。

ブランド力だけが頼りだったソニー

 ソニーが頼りにしていたのはブランド力だった。ソニー液晶テレビで遅れをとっていたが、サムソンと合弁会社を設立、シェアを獲得することで黒字化しようと考えた。技術はないが、本気で生産拡大すれば、ブランド力で首位サムスンを追い越せるだろうと考えたのである。しかし結局サムスンには追い付けず、価格競争にも負け、赤字額は04年度以降赤字は2000億円にまで累積している。

成功神話にこだわり続けたソニー

 ソニー液晶テレビへの切り替えが遅れていた。その理由はブラウン管テレビへのこだわりだった。ソニーがブランドを確立したのは、ウォークマントリニトロン等を通じてだが、このトリニトロン方式というブラウン管技術はソニーの黄金時代を支えた。しかしその成功体験が強すぎ、他社が液晶生産に軸足を移す間にも、ブラウン管テレビにこだわり続けた。ソニーはなんと08年までブラウン管テレビをを作っていたのである。
 ソニーサムスンから技術提供を受けて液晶テレビの製造を始めたは、05年になってからだった。

垂直統合対水平分業

 垂直統合とは、部品から完成品まで自社で製造する方式であり、水平分業とは独自技術は持たず、世界から割安な製品を集め完成品を作成する方式である。水平分業が一足先に進んだのはパソコンである。日本のメーカーは垂直統合にこだわったが、IBMは水平統合に生産方式を切り替えた。パソコンは、その雑多な部品を、モジュールといった固まりでくくり、モジュールに基本仕様を定めることで、モジュールの生産を外部に求めたのである。そのことで多数の意欲あるモジュールメーカーが創意を争い、IBMのパソコンの質をさらに高めることになったのである。
 アメリカにヴィジオという薄型テレビのメーカーがある。このメーカーは水平分業方式を取り、自社はデザイン、販売戦略に専念する。現在ヴィジオが、水平分業方式を生かし低価格テレビを供給。安さを求める消費者にニーズに合い売上を延ばしている。日本のメーカーは高機能、高品質で勝負をかけたのだが、今や時代の潮目は変わり、苦戦を強いられている。
 もっとも水平分業にも弱点はある。IBMは当初は水平分業で他社に水をあけたが、それは一時的なものだった。モジュール化により、他の後発メーカーもモジュールを購入するれば、IBMと同じ品質の製品を作れることになる。パソコンが質を競うのでなく、価格を競うのであれば、生産拠点が工賃の安いところにある方が有利になる。結局IBMはパソコン事業を中国企業連想(レノボ)に売却した。
 水平分業が進めば、パソコンと同様、テレビの生産拠点を中国に移さざるを得なくなる。現にシャープは亀山第一工場の生産設備の一部を中国に移すこととした。

サムスンにやられたのはなぜか

 今ではサムスンのほうがブランド力が上になっているからである。今アメリカ人は値段が同じだったら日本製品よりサムスンを買う。サムスンは携帯電話を通じてブランド力を上げた。サムスンは携帯電話で市場を圧巻、品質の良さ、デザインの良さでサムスンのブランドを定着させる。こうしてブランド力を携帯で向上させた上で、薄型テレビ等を上陸させるというのである。ソニーのやみくもに数だけ作ればいいというような、戦略性の欠如した企業は、到底かなわなかった。

今後の日本の電機産業

 総合家電という言葉が死語になっていくのではないだろうか。日本のメーカーはいわば総合家電という看板が降ろせないばかりに、ガラパゴス化し、選択と集中が果たせなかった。白物家電では有名な日立も、デジタルメディア・民生部門の売上は12%にすぎない。情報通信システム部門が22%、電力産業システムが28%と、他部門のほうが売上が上になっている。