妊婦たらい回し事故 医師不足は厚労省の大失政

脳出血を起こした妊娠9か月

10月4日、脳出血を起こした東京都内の36歳の妊娠9か月の女性が8病院に受け入れを断られた後に死亡した。

周産期母子医療センター

「周産期」という言葉をご存じだろうか。
周産期とは、妊娠22週から生後満7日未満までの期間をいい、この期間は、母体・胎児や新生児の生命に関わる事態が発生する可能性がある。
しかし母の治療は産婦人科、新生児の治療は小児科に分かれているため、この両者を一体的に治療する必要があり、そのための医療を周産期医療とよぶ。こうした周産期における妊娠女性の急変に対し、周産期医療をするための24時間体制の救急病院が、周産期母子医療センターである。

周産期医療センターには、NICUという新生児のためのICU(集中治療室)だけを備える地域周産期母子医療センターと、NICUとM−FICUという母と胎児のためのICUの双方を備える総合周産期母子医療センターの二つがある。
今回の事件では、母自体が脳出血症状を起こしていたというのだから、NISUとM−FICUの両方を備えた総合周産期母子医療センターに搬送することが求められるケースであった。

最初からあった混乱

主婦の掛かり付けの産婦人科医院は江東区内の病院。主婦は嘔吐、下痢、激しい頭痛があった。嘔吐と頭痛があれば脳疾患が疑われる。そのためこの産婦人科医は、総合周産期医療センターのある都立墨東病院に受け入れを依頼した。
しかし、墨東病院は「頭痛が少しあると聞いた。脳出血を疑う余地はなく、受け入れ拒否は妥当な判断」と弁解している。

当日墨東病院には、産科医は若い研修医一人しかいなかった

しかし、墨東病院医師不足のため08年7月から土日は産科当直医が一人しかいないため、そもそも救急搬送を断っていた。
一般的に総合周産期センターには少なくとも8人以上の常勤医師が必要だと言われている。ところが墨東病院にはわずか4名の常勤産科医しかいなかった。しかも当日は、研修医の若い産科医が一人いただけだった。
医師会は以前から東京都に、区東部ブロックの産科医療をどうにかして欲しいと質問状を出したが、主体的に動いてもくれなかったという。

舛添厚労相は23日の会見で「週末に当直が1人しかいないのに周産期医療センターだと言うのは羊頭狗肉(くにく)で、国に相談してこなかった都にも大きな責任がある」と都を厳しく批判した。しかし、今回の事件の真の原因は医師数の絶対的不足にあり、これは厚労省の失政によるものだ。厚労省の大臣に批判する資格はない。

82年以降、医学部定員抑制をとってきた愚策

日本の医師数は絶対的に不足している。人口10万人当たりの医師数は26万人、OECD加盟国平均と比べて12万人不足しており、今もなお格差が広がっている。
その上に各地方ごとの格差がある。都会に比べ地方が医師が不足しているが、意外に最下位は埼玉県である。
こうなってしまったのは厚労省の失政が原因である。
医学部定員は、1982年の閣議決定で抑制方針が示され、以後医学部の新設も、医科大学の新設も一切行われなくなった。医学部の新設は78年の琉球大学が最後であり、医科大学の新設は78年の産業医科大学が最後である。
その後医師不足、偏在が指摘されていたにも関わらず、97年にも「引き続き医学部定員の削減に取り組む」と改めて閣議決定されてしまった。
当時の首相は橋本龍太郎であったが、97年11月、財政構造改革法が制定され、03年まで赤字国債発行を毎年度削減することとなるといった、緊縮財政政策の犠牲になったものと考えられる。
さすがに、厚労省も、ようやく、08年6月18日、医師数の抑制方針を決めた従来の閣議決定を見直し、新たに医師養成数の増員を打ち出した(安心と希望の医療確保ビジョン、と称している)。

東京は、たらい回しワースト1

平成18年の周産期救急における「最大収容時間」(総務省調べ)の都道府県別ワースト3は次の通りである。
① 東京都217分
② 北海道148分
宮城県146分
同じく「受け入れにいたらなかった電話照会回数」(同前)においても、東京都は10回以上が30件と、2位の千葉県の6件を大きく引き離している。

ベッドがないは理由にならない?

東京でたらい回しが多い理由について国立成育医療センター産科医長・久保隆彦氏はこう語っている。
「9年前、私が状況して驚いたのは、東京では普通に受け入れ拒否がなされていたことです。地方では中核病院の責任が明確で、ベッドがなくても人道上の理由から患者を受け入れていた。確かに一つの病院で全ての患者を受け入れることには無理があります。様々な患者に対応するためには役割と責任を明確にしながら連携することが必要です。その為には、行政が『地域完結型医療』という発想のもとで指導力を発揮することが求められます」(週刊文春 2008年10月30日号)
しかし、本件では究明は無理、一番の原因は医師不足と、多くの医師はこの見解には猛反発している。
最近、胎盤癒着の処理の適否が争いになり、無罪判決の出た大野病院事件が話題になっているが、これと同様の医師バッシングに対するのと同様の反論があるようだ。
ただ一番医師が多いはずの東京で、これだけたらい回しされているというのは、素人からする意外な感じがする。この意外さを納得させてくれる説明が欲しい。

下町地区に、周産期母子医療センターが少なすぎる。

周産期母子医療センターの設置状況には、都市部と地方とで格差があるが、都内でも格差がある。
不足しているのは、多摩地区と今回の事件があった下町地区である。
総合周産期母子医療センターは23区内に8施設あるが、以下の通りで、下町に墨東病院しかない。しかもそこさえ土日は研修医一人しか当直していないのである。
 愛育病院           港区
 東京女子医科大学病院     新宿区
 昭和大学病院         品川区
 東邦大学医療センター大森病院 大田区
 日本赤十字社医療センター   渋谷区
 帝京大学医学部附属病院    板橋区
 日本大学医学部附属板橋病院  板橋区
 都立都立墨東病院       墨田区
東京下町地区の、台東区墨田区荒川区、足立区、江東区葛飾区、江戸川区の合計人口は279万人。茨城県の人口にほぼ匹敵する。にもかかわらず、土日は地区内に周産期母子医療センターが存在しないというのは異常と言えはしないだろうか。
これを放置した東京都の責任は甚大だ。

コンビニ受診

最近、「昼間、平日は仕事で来れない」といった理由だけで、夜間や休日に救急外来に受診にくる非常識な患者が多い。コンビニ受診と呼ばれている。
このような患者が増えることにより、重症な患者の対応が困難になったり、入院中の患者の急変に対応が困難になったり、医師が休養がとれず翌日以降の診療に支障を来したり、疲れ果て医療現場を去り医療崩壊の原因にもなったりしている。
東京都によると、夜間などに入院が必要な急患を受け入れる「二次救急」の指定医療機関に救急車で運び込まれる人の60%は軽症、特に子どもは95%が軽症だった。

もっともコンビニ受診の背景には、共働きで夜しか子どもを連れていけないという事情もあると見られる。このため、休日、夜間に、子どもを急いで病院に連れていく必要があるかなどを電話で相談できる「小児救急電話相談事業」が41都道府県で実施されている。プッシュ回線で「#8000」を押せば、担当の小児科医、看護師などに相談できる。厚生労働省のホームページにくわしい情報が掲載されているので、それを利用されたい。
http://www.mhlw.go.jp/topics/2006/10/tp1010-3.html

夜間救急こどもクリニックの失敗

東京都練馬区役所の2階に08年6月「夜間救急こどもクリニック」が開かれた。平日は午後8時から11時まで、土日や祝日は午後6時から10時まで、地域の開業医らが交代で診療している。9月までの4カ月間に1629人の患者が訪れた。このうち入院や詳しい検査が必要で転院した重症者は、5人だった。
夜間の救急患者は、それまで近くの日大練馬光が丘病院に集中していた。年間約1万4000人という。このため、軽症者には、こちらにきてもらおうということで、夜間救急こどもクリニックができたのだが、光が丘病院の患者は減っていないのだという。
光が丘病院の近くに開設し、連携をとらないことが原因と考えられる。
周産期母子医療センターの近くに、こうした夜間救急クリニックを作ってはどうだろうか。