ミャンマー男性 東京高裁で逆転難民認定

ミャンマー国籍の男性 難民認定を認められる

ミャンマー国籍の男性ブアル・フレさん(57)が、自身を難民と認めるよう求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は23日、フレさんの請求通り、難民不認定と退去強制の処分を取り消す原告逆転勝訴の判決を言い渡した。
フレさんは「ミャンマーで看護師をしていた当時、民主化運動による軍との衝突での死者数を周辺に話し、反政府ビラに記載された」と主張していた。
東京地裁は「遺体数の情報漏れに軍は関心があるのか不明」として請求を退けていた。
しかし東京高裁は「軍は、1日当たり80から100に及ぶとされた遺体数の情報源に重大な関心を持ち、フレさんを迫害する恐れは十分ある」と判断した。
もし敗訴となれば、入管により強制送還されるところだった。

逆に政治運動に参加したミャンマー人をミャンマーに強制送還した判決も〜横田陳述書の問題点

07年9月26日、東京高裁は、ミャンマー男性を難民と認める東京地裁判決を破棄し、難民認定をしないとした国の決定を適法と認めた。
彼は、88年8月にミャンマー国内で民主化デモに参加し、当局に二度、身柄を拘束され、拷問も受けた。彼の右足のかかとには毒ヘビにかまれたあとと、毒を吸い出すために十字に刃物で切ったあとが残る。正確には、かまれたのではない、自らかませたあとだ。
彼は釈放後、軍に強制徴用され、部隊の最前列で地雷原を歩かされたりした。そこで、91年6月、部隊から逃げるためにイチかバチか毒ヘビに足をかませたというのだ。結局、一命を取り留めたが、身の危険を感じ、ブローカーに依頼して、裏の手口でパスポートを入手。同年11月にバンコク経由で日本に入国。03年8月、入管に難民認定を申請して、翌04年3月に不認定の処分を受けたのである。
07年9月19日の高裁判決でも、88年に同じく民主化デモに参加した別のミャンマー男性を難民と認めた一審判決が破棄された。彼と一緒に活動した1人は、当局に拉致され行方不明になっており、別の1人は当局との衝突で亡くなったという。
二つの高裁判決では、いずれもその根拠として、90年代に国連人権委員会ミャンマー担当特別報告者を務めた経験を持つ中央大学法科大学院の横田洋三教授の陳述書を採用している。
横田陳述書には「ミャンマーでは、政府が危険と考える政治犯に対しては、旅券は発行されない」と記され、東京高裁はそこから正規の旅券を取得できるのなら、迫害の危険性はないとし、難民性を否定したのである。

横田陳述書批判

ミャンマー近現代史を専門とする上智大学国語学部の根本敬教授は、横田陳述書をこう批判する。
ビルマでは、投獄された政治犯が釈放後に監視対象となっていながら、旅券を発行された事例はいくつもある。軍政の意図ははっきりしないが、軍政からみて不都合な政治犯を、国内に抱えているよりむしろ海外に出してしまおうとする傾向もある。陳述書は事実とは異なる」
また横田教授の「ブローカーやわいろを受け取った役人を通してできることは(中略)旅券発給手続きを短縮することぐらい」とする記載についても、根本教授は
「認識が不十分。旅券発行担当の役人がブローカーを兼ねることもあり、その場合は申請者が政治犯であっても、大金を積めば旅券は発給される。また担当役人が知り合いの政治犯を助けようと発給した事例もある」と指摘する。
東京新聞07年10月12日)
今回は、難民認定申請者に有利な高裁判決が出たが、裁判官によっては、全く逆の内容の高裁判決が出てもおかしくなかったのである。

国連難民高等弁務官難民認定したクルド人をもトルコに強制送還した日本政府

日本政府は、国際的にも非常識と思われる次のようなことも行っている。
05年1月18日、UNHCR(国連難民高等弁務官)が難民認定したクルド人をトルコに強制送還した。
難民には、難民条約に基づき難民と認められるものと、UNHCRが難民と認定するマンデイト難民との二つがある。マンデイト難民を強制送還するというのは、世界初の暴挙である。UNHCRは日本政府のこの処分を「ルフールマン(迫害を受ける危険性のある領域に人を送り返すこと)」と批判した。
以下はUNHCRのプレスリリースである。
前例のない難民の強制送還に懸念 2005年 1月18日
 国連の難民援助機関であるUNHCR(国連難民高等弁務官)事務所は、「UNHCR事務所規程」によって難民と認定されたクルドトルコ人2名の、前例のない送還について憂慮している。日本政府は、1月18日、UNHCRおよび人権団体からの最後の要請にもかかわらず2名の難民をトルコに送還した。
 UNHCRは火曜日、法務大臣に送付した口上書の中で、日本政府に対して難民を送り返さないよう要請するとともに、このような措置は国際難民法上で禁止されている「ルフールマン(迫害を受ける危険性のある領域に人を送り返すこと)」の行為にあたると指摘した。
 UNHCRはこれらの難民の第三国定住を求めて方策を講じていると述べてきた。送還されたのは、クルドトルコ人とその21歳の息子である。妻と他の4人の子どもも同じ処遇に直面しつつある。UNHCRは、送還は国際法上、日本政府に課された義務に反するものであると見なしている。また、今回の送還は、前例がなく、海外にいる難民や災害被災者に対する日本の人道援助とは相容れないものである。
 送還された2人には、日本に滞在するための法的な救済措置はすべて尽きてしまっていたが、UNHCRは難民であると見なしていた。UNHCRはこれまで彼らのために介入を行っていた。
 今日まで日本政府は、このような難民に対しては、UNHCRの任務に従った日本での定住かケースによっては第三国定住などの恒久的な解決策を追求する可能性をUNHCRに提供してきた。執行された「ルフールマン」は、この慣行からの憂慮すべき逸脱にあたる。

http://www.unhcr.or.jp/news/press/pdf/pr050118_j.pdf

日本の難民認定事情

難民受入人数は、アメリカが3万人、ドイツが2万人、イギリスが1万人であるのに比べ、日本の難民認定数は年間100人に満たない。
入国管理局は「日本の難民認定数が少ないのは申請数が少ないから」としているが、これには「日本で難民認定申請しても受け入れられないので申請しないだけ」としている。
こういった状況を改善するため、日本では入管職員以外の学識経験者等が法務大臣の指定を受け「難民審査参与員」として難民認定手続の過程に関与する制度が設けられ、05年5月から導入されている。
上記ミャンマー男性が、こうした新手続に従ったうえで、認定されなかったのかは不明だ。
入管職員以外が難民審査参与員になるにしても、その人選が入管シンパで占められていたのでは意味がない。その選定方針、具体的にどういう人が選定されたのかが、明らかにされるべきであろう。

難民認定されるか否かは、難民条約によって決まる

難民と認定するのは、日本では法務大臣ということになっている。
そして、ある人が難民と認定されるには、前記マンデイト難民のほか、難民条約(国会承認は81年)にいう「難民」に該当するか否かによって決定される。
難民認定によって初めて難民となるのではなく、元々難民としての地位にある者が難民と認定されるのが難民認定手続である。
換言すれば、難民条約上難民たるべき者が、ある国に難民認定を申請した場合、その国は難民と認定しなければならないのである。

難民条約にいう難民の定義

難民条約にいう難民の定義は以下の通りである。
人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であることを理由に、または政治的意見を理由に、迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために
ア) 国籍国の外にいる者であって、 その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者及び
イ) 常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができない者またはそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まない者
国連難民高等弁務官事務所が、「難民認定基準ハンドブック」を作成し、定義の解釈規定を置いている。
たとえば「迫害」について言えば、生命・自由に対する脅威・人権の重大な侵害は含まれるが、飢餓・貧困から来た者、戦禍や政治的混乱を避けて出国した者は除かれている。
なお、庇護を求める国において入国・滞在が無許可とされる者であっても、難民であることに変わりがない(難民条約31条参照)。

難民認定されなかった場合でも、在留できることがある

法務大臣は、難民認定をしないときでも、在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査するものとし、当該事情があると認めるときは、その在留を特別に許可することができる。
ただ、許可申請が却下された場合に、これを争うのは相当な困難を伴う。というのは最高裁大法廷昭和53.10.4の通称マクリーン判決があるからである。このマクリーンという米国人は、外国語学校への就職目的で入国したがのだが、当初申告していた就職先をわずか17日間で退職し別の語学学校に就職したという入国目的違反、ベトナム戦争反対集会&デモへの参加等を理由に法務省が在留期間更新を許可しなかった事案であるが、「(法務大臣の裁量判断につき)その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により、右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により、右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法であるとすることができる」と、法務大臣の広範な裁量権を認め、マクリーン氏の上告を棄却したのである。
このマクリーン基準が独り歩きし、不許可決定を争うことを非常に困難なものにしている。しかし法務大臣の許可裁量の広狭は、案件ごとに異なってくるはずのものであり、個別事情を判断しなくて良いというような紋切り型的な判決を許すものではない。平等原則、比例原則、「考慮すべき事情を考慮せず、考慮すべきでない事情を考慮したか」という点を事案ごとに個別に判断する必要性があることまでは否定されていない。最高裁3小平成8.7.2判決は、在留期間更新にかかるものであるが、配偶者の存在という考慮すべき事項を考慮しなかったこと等を理由に裁量権の濫用を認めている。これ以降在特事案で、裁量権の乱用、逸脱を認めた判例が主に地裁レベルであるが出るようになった。

難民認定に類似した制度

また、日本も1999年に批准した拷問等禁止条約の第3条が「拷問を受ける危険があると信じるに足りる実質的な理由がある国への追放・送還の禁止」によって保護している。対象は難民ではないが、難民の保護に類似した制度である。

毛布で簀巻きにして強制送還 航空乗務員が搭乗を拒否

04年11月、法務省西日本入国管理センターは、ベトナム人女性とペルー人男性を、さるぐつわをし、かつ毛布で簀巻きのようにして包んで縄で縛り、強制送還しようとしてした。
男性については、あまりに異常な様子を見た乗務員が搭乗を拒み、送還に失敗した。
同入管は「正当な業務行為」とコメントしている。