法科大学院

法科大学院

 法科大学院は日本版ロースクールを目指して作られたということになっているが、元々は妥協の産物だ。法科大学院ができてから、司法試験は法科大学院を卒業した者だけが受けられることにし、その代わり法科大学院でみっちり勉強すれば、8割は合格できるようになった。その後は、司法研修所という国家機関で実務教育を行い、そこを卒業して、最終試験に合格すると晴れて弁護士、裁判官、検察官になるというところは従来通りだが、法科大学院で実務教育を行っているので、研修期間を多少短くしても大丈夫。そんな制度設計だった。
 こうした制度設計は、司法制度改革審議会で行われた。同審議会での最大の議論は、司法試験合格者を3000人にしようということであった。しかし、そうなると、現在の司法研修所ではキャパ的に十分な実務教育ができない、それなら合格前に実務教育を行う機関を作ろうじゃないかということになった。それで泥縄式に出来上がったのが、法科大学院である。同審議会でも日本版ロースクールの議論はあったが、この3000人構想が決まるまでは、遠い将来の話だったのが、急に生まれた必要性から一気に実現することになったのである。

喜んだのは大学、実業界、消費者グループ

 この構想に一番喜んだのは大学だ。法学部を持ちながら、今まで司法試験合格者を多く出せてこなかった学校も法科大学院を作れば、合格者を出すことができる。大学にとって大きなイメージアップになり、法学部だけでなく、他学部にも波及効果も出るかもしれない。
 企業も喜んだ。今までは高い報酬を払って弁護士を頼んでいたが、自前で安く弁護士を雇って裁判をやらせることができる。
 消費者グループ、労働団体も大賛成。今までは、弁護士は自分たちの事件を、ペイしないという理由でやってくれなかったが、弁護士も競争相手が増えれば、自分たちの金にならない事件もやってくれるだろう、と考えた。

弁護士も同意

 法科大学院は、3000人構想がもとになっており、弁護士会自体3000人構想には大反対だった。日弁連を代表して出席していた久保井日弁連会長も大幅増員には慎重論を唱えていた。
 しかし、それを翻意させたのが、当時審議会委員で小泉さんと仲良しだった中坊公平だった。中坊が、法曹人口を大幅に増やすことを唱えると、中坊の影響下にあった久保井会長(中坊は元大阪弁護士会の重鎮で元日弁連会長、久保井は中坊が担いだ「軽い神輿」として日弁連会長になった)も、中坊の意見に同調。一気に3000人構想が実現に動いたのである。
 寝耳に水だったのは、日弁連執行部だ。しかし、自分の大将が認めてしまった以上、突っ張る訳にはいかず、増員論を受け入れた。こうした観方は公式には認められてはいないが、「久保井フライング論」として弁護業界には流布されている。

法科大学院の実体

 日弁連発行の広報誌では、「弁護士が法科大学院に講師で行ったら、実務教育で鍛えられた学生たちの熱意ある討論に、却って自分の実力不足を思い知らされた」といった、大本営発表的な記事が垂れ流されていた。
 しかし、大学側が自分たちのブランド向上のために、雨後のタケノコのように法科大学院を作り、文科省もこれをバンバン認めてしまったため、法科大学院卒業生の供給過剰という問題が起きている。司法試験合格者3000人で、合格率8割ならば、受験生の数はそこから逆算して3750人程度に収める必要がある。
 しかし法科大学院が粗製乱造されたため、学生数は5765人。以前の試験に不合格になった受験生も受けるため、今年の司法試験は7392人が受験し、合格者は2043人と昨年より22人減り、合格率は過去最低の27.6%となった。当初の3000人、8割合格の目標は全く達成できていない。
 意気に燃えて、会社を退職、法科大学院に入った人などからすれば、詐欺にあったようなものだろう。7399人も受けているんだから、3000人受からせてやればいいじゃないか、という声もあるが、法務省は「法曹資格にふさわしい能力の有無で合否を判定した結果」と、そっけない。要するに、基準に達しない受験者がそれだけ多いということなのだ。
 学校間格差も顕著だ。74校中、合格者数5名以下が24校、合格率10%未満が14校あるという。このため、法科大学院への受験者数も減っている。全体の8割が定員割れ、半数以上の42校で、競争倍率が2倍を割った。弁護士の増加で、弁護士になっても食べていけない新人弁護士の存在も報道されている。しかも法科大学院に入れば、3年間は(法学部卒業者は2年)、無収入。しかも学費も国立校の平均が約109万円、私立校の平均が約157万円。最高額が桐蔭横浜法科大学院の222万8500円だが、この学校08年の合格率は第56位の12.7%である。
 このまま行けば、司法試験合格者の質も低下する可能性がある。