サムソン対シャープ その時歴史は動いた

 97年アジア通貨危機でサムソンは事実上の倒産に追い込まれた。同社は98年に開いた「生存対策会議」で120あった事業部を34に整理。営業マンは液晶テレビの海外輸出に活路を見出すべく、新興国に散った。同社が一番ライバル視していたのはシャープ。当時技術力でサムソンはシャープに及ぶべくもなかった。しかし、新興国のどこに行ってもシャープの商品はなかった。
 シャープは02年、1000億円をかけ、亀山工場の建設を開始。垂直統合型の生産体制で、自社技術をブラックボックス化し、他社を技術で引き離そうとした。しかし、サムソンのある幹部はこのことを聞き「これでシャープに勝てるかもしれない」と言ったという。サムソンは、もしシャープが中国に生産拠点を移し、最高品質の製品を安く作って世界に輸出したら、それこそ自分たちの活路はふさがれると考えたのだ。しかしシャープはその反対の道をとった。国内引きこもりの道である。
 今年になって、シャープは、鴻海グループと資本提携、事業提携を行い、シャープの技術で中国で液晶テレビを生産することにした。シャープはまだ間に合うのだろうか。