大きく変わったパレスチナ情勢

全てはエジプトで始まった

 エジプトでムバラク政権が倒れ、パレスチナ情勢が劇的に変わった。ムバラクは、中東における米国の番犬となることで、その独裁政権を保持していた。米国は親イスラエルが基本政策のため、エジプトはイスラエルとの善良なる隣人となった。
 07年、ガザ地区に反イスラエルハマス政権が誕生すると、エジプトはガザ地区との国境を封鎖。このため、ガザ地区は外部と行き来するには、イスラエルとの国境にある検問所を通らなければならなくなった。同検問所は食料品と医薬品の持ち込みしか認めないため、ガザ地区の零細工業はほぼ壊滅。同検問所は不定期に閉鎖されるため、生活物資の搬入にも大きな支障を生じている。
 しかし、ムバラクが倒れた以上、エジプトが米国の番犬でいる必要はなくなった。元々ムバラクの親イスラエル路線は国民の評判は良くなかった。これを敏感に悟ったヨルダン川西岸地区を支配するファタハ政権は、ガザ地区を支配するハマス政権と和解。さらには米国までが態度を変えることとなった。

オバマ演説の重要性

 5月19日オバマは演説で、1967年中東戦争以前の国境でパレスチナ国家を樹立すべきとの見解を米大統領として初めて正式表明した。
 これは国際法上は当然のことだ。イスラエル空軍は、67年宣戦布告なしにエジプト、ヨルダン、シリアを電撃的に攻撃、空軍戦力を殲滅、その後自慢の機甲部隊をエジプト領ガザ地区、ヨルダン領ヨルダン川西岸地区、エジプト領シナイ半島に進撃させ、占領した。6日間で決着させたため、6日間戦争とも言われている。侵略行為で得た土地は領土とは認められない。このため、国連安保理決議242は、イスラエルに占領地からの撤退を求め、アラブ諸国にはイスラエル国家を承認し、共存を受け入れることを求めている。しかしイスラエルはこれを拒否、米国の黙認の下、ガザ地区ヨルダン川西岸地区からは撤退するどころか、軍を常駐させ、ヨルダン川西岸地区には自国民を次々と入植させ、既成事実化を図ってきた。
 オバマ演説はこうした入植活動を否定するものだし、イスラエル軍の常駐さえ否定しかねないものである。早速イスラエルのネタニヤフ首相は「67年に戻る必要はない」と拒絶声明。米国内のイスラエルロビーが猛然と反撃。ユダヤ系資本に支配された米マスコミからの批判も激しい。

ガザ地区封鎖開放

 エジプト政府は5月28日、強硬派ハマスの支配するガザ地区との間にあるラファ検問所を開放することを発表。イスラエルのガザ経済封鎖政策を破たんさせるにいたった。オバマも、米マスコミから「あんたがああいう演説をしたから、エジプトがいい気になって、検問を開放したんだろう。これでガザ地区のテロリスト集団ハマスが力をつけることになる。どう責任をとるんだ。」と攻撃されるかもしれない。まあオバマには頑張ってほしい。

ネタニヤフはやり過ぎた

 09年2月の総選挙で、対パレスチナ穏健派の労働党政権が倒れ、ネタニヤフを首班とするタカ派連立政権が誕生した。09年5月、イスラエルはガザに人道支援物資を運ぶ民間団体の船を急襲、拿捕したが、同船に乗っていた民間人(トルコ人)を殺傷し、トルコとの関係も悪化した。
 10年10月には、米国の制止を振り切ってヨルダン川西岸地区へのユダヤ人の入植を再開した。
 前労働党政権時代には、ガザ侵攻で、イスラエル軍が子どもを含む民間人を多数殺害しており、その負の遺産も負っている。
 こうした中で、ネタニヤフはやり過ぎたと言えるのではないか。

トルコ パレスチナ国家承認後押し

 パレスチナは9月の国連総会での国家承認決議に向けて外交攻勢をかけている。すでにパレスチナを国家承認すると表明している国は100カ国を超えている。加盟国承認には加盟国の3分の2以上の賛成が必要であり、加盟国は192カ国だから128カ国以上の賛成が必要。3分の2までかなり迫っている。ただ、3分の2以上の賛成が得られても、安保理の勧告が必要であり、拒否権を持つ米国はパレスチナの国家承認については反対の立場を取っており、現実には国家承認は難しい。しかし、イスラエルとの和平交渉を有利に進めるための一方策としての意味がある。
 6月15日、トルコのギュル大統領が、パレスチナ国家承認に賛成する姿勢を示した。イスラエルは頼みとするエジプト、トルコの支持を失い、四面楚歌の状況だ。(11.6.16日経)