エジプト ムバラク政権の行方

チュニジアの政変が引き金となって、エジプト全土で反政府デモが盛んに行われている。1月29日未明、ムバラク大統領はテレビ演説で、内閣総辞職と新内閣の樹立し、政治改革を進める旨表明したが、他方、自身は現職にとどまることを明らかにした。しかし、反政府デモは全く納まる気配を見せていない。エルバラダイ国際原子力機関IAEA)事務局長が帰国、ムバラク大統領に辞任を迫ったが、軟禁状態に置かれた。政府は強権的な対応をとっており、死者もかなり出ているようだ。また反政府デモがこれ以上広がらないよう、インターネット、携帯電話網を遮断している。
ムバラクは1981年以来、30年間、大統領の地位にある。80年にサダト前大統領が暗殺されて以来、非常事態宣言が発令されたままになっており、大統領選挙も対立候補を許さない信任投票の形でしか行われてこなかった。しかし、前回の05年9月の大統領選挙では、民主化運動に押される形で、憲法を改正し複数候補に対する直接選挙を実施した。同選挙で圧倒的多数の得票で5選を果たしたが、反対勢力の多い地域では警官が投票所に張り付き、投票者を負い返し、与党勢力が連れてきた投票者だけを投票所に入れると言ったような不正選挙の結果でもある。ムバラクは82歳と高齢だが、次男のガマルを与党の国民民主党の政治委員会委員長につけ、世襲させようとしている。
それでも、ムバラクは05年の大統領選挙の際、選挙綱領で、行政府の権限見直し、議会権限の向上、国民の自由保障、「テロ対策法」制定による非常事態令廃止、司法権独立の保障強化などの民主化を約束した。野党候補がこうした公約を掲げるであろうと見越しての、先制攻撃で、野党候補は意表を突かれた形だった。選挙戦略という要素はあるが、国内の民主化要求もあって、ここまで踏み込んだ民主化を公約せざるをえなかったということでもある。これらの公約のうち一部は実現したが、非常事態宣言はいまだ取り消されていない。10年5月には、人民議会で、非常事態を2年間延長することが可決された。手紙やメディアの事前検閲等は廃止されたが、捜査、逮捕、集会の自由の制約等は継続された。国民からすると、公約違反の状態が6年間続いていることになる。
国民も、ムバラクが05年の大統領選挙で約束した民主化を反故にしてきており、ここで民主化を言ってもだれも信じないだろう。11年には大統領選挙も有り、政治的に敏感な時期で、ムバラク辞任要求の動きは容易に納まらないだろう。
経済改革で、経済の自由化が進み、GDPも年5%ほどの成長を続けているが、その一方で、貧富の差が拡大。貧困率は、2001/02年の18.4%から19.6%に上昇。日収2米ドル以下の貧困層が国民の4割を占めている。失業率も高止まりしている。
エジプトは他のアラブ諸国に先んじてイスラエルと平和条約を結んでおり、イスラエルの守護者たる米国のアラブ外交での重要なパートナーである。エジプトがイスラエルと和平条約を締結して以来、米国は軍事援助を含め最大の援助国となっている。湾岸戦争では、エジプトは米国が率いる多国籍軍の一員として参戦した。オバマ米大統領は1月28日、ムバラク大統領と電話会談したが、ムバラク大統領の政治改革を約束する演説について「よりよい民主主義と経済状況が約束された」と指摘。電話会談では「あなたは約束を実行し、意味を持たせる責任がある」と伝えたと発表した。オバマは強権的な対応をしないよう求めたとのことだが、要はムバラクを支持する旨を明らかにし、国内の反政府デモを鎮静化させようということだろう。アメリカは中国には民主化は言うが、自分の味方をする国に民主化を求めることはない。ご都合主義だが、それが国際政治の現実だ。エジプト国民は米に頼らず、自らの力で政治的自由を勝ち取らなければならない。