韓国北京五輪代表野球チームから学ぶこと

12月22日放送のテレ朝Get sport「韓国野球に学ぶべきこととは」を見て

北京五輪で優勝した韓国。9戦全勝だった。韓国と日本とでどこに違いがあったのかを、この番組では論じていた。
兵役免除によるモチベーション、国内リーグのルールの国際化がそこでは取り上げられていたが、キム・ソングンという名監督の存在も大きかったのではない。

兵役免除というインセンティブ

韓国代表は北京五輪で金銀銅にかかわらずメダルをとれれば、兵役免除という恩典が与えられることになっていた。韓国では19歳から29歳の間に2年間は軍隊に入ることが義務付けられている。野球人生にとって一番重要な時期に、野球から2年間離れるということは、選手生命をも左右しかねないことになる。だから韓国の選手は必死なのだ。五輪の準決勝の韓国戦で、韓国のイ・ヨンギュが、最後の打者が打ち上げたライトフライをキャッチした瞬間、思わずボールを両手で挟み拝むようにしてマウンドにひざまずき、しばらく動かなかった。その瞬間が、韓国メンバーが兵役を免除された瞬間だったからかも知れない。前記番組で日本代表の宮本慎也が言っていたが、彼のその動きを見て「これでは勝てるはずがない」と思ったそうだ。

韓国リーグで国際基準を採用

韓国代表は、06年12月のドーハ・アジア大会で日本のアマチュアチームに敗退し、06年3月のWBCでも日本と3回当たったが、2勝後の準決勝で敗退した。そのため韓国野球リーグでも、ボールを国際公認球に合わせ、ピッチャーマウンドを低くし、ストライクゾーンも広くする等徹底して国際基準に合わせることになった。

北京五輪監督 金星根(キム・ソムグン)

 金は在日韓国人2世。京都府立桂高等学校を卒業後、釜山の東亞大學校を中退した後、韓国実業野球界の投手として活躍し、後に監督を務めた。82年に韓国プロ野球が発足するとOBベアーズの投手コーチに、84年には監督に就任した。以降、6球団で監督を務め、08年に指揮していたSKワイバーンズで監督通算1000勝を上げるという快挙を成し遂げた。彼がすごいのは、万年最下位チームだった太平洋ドルフィンズ、サンバンウル・レイダースなどをプレーオフに引き上げ、02年には不振に苦しんでいたソウル本拠の人気チームLGツインズを戦力の整ってない状況にもかかわらず、韓国シリーズにまで進出させた。今まで在任したすべてのチームをポストシーズンに導いた実績を誇る。07年金はSK監督に就任。球団発足8年目で、昨シーズンは6位だったSKを優勝させ、韓国シリーズも制覇した。08年も二連覇を果たした。
「一球二無」が彼の座右の銘。今この瞬間にすべてを出し切ることが大事だというのが彼の信条だ。韓国野球というと、大味な野球をイメージしがちだが、彼の野球はつなぐ、確実な野球だ。トーナメント方式での試合には不可欠な資質を備えていると言っていいのではないか。
 彼の持ち味は日本野球に通暁していることだ。05年には千葉ロッテのチームコーディネーターに就任、不振の李承菀を復活させる等、能力を発揮、06年には1・2軍巡回コーチに就任している。彼はデータを重視する。日本にとっては強敵だった。
 (上記はウィキペデイアを参照)

キム・ソングンが語る日本代表

キムは前記番組で日本代表のことを聞かれ、酷評していた。「彼らは死ぬ覚悟でやるなんて言っていたが、口だけじゃないか。体が痛い、腰が痛いと、ベンチに何人いるんだ。」
日本敗退の原因に国民の期待というプレッシャーの存在が語られるが、韓国の比ではない。北京五輪中、韓国リーグを中断していた。国民全員が北京五輪で韓国代表の応援をしていた。しかも準決勝は宿敵日本。韓国人にとって日本戦は特殊な意味を持つ。

キム・ソングンWBC監督を固辞

金は09年3月のWBCの監督代表監督に一時期内定していた。しかし金は健康問題を理由にこれを固辞。結局韓国代表監督には、前回大会でも監督を務めていた金寅植キム・インシク)がなった。金寅植も監督としては韓国シリーズを2度制覇し韓国プロ野球界では名将の一人に数えられているが、キム・ソングンが監督にならなくて本当によかったと考えている。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/11/06/28.html