東京大空襲訴訟 被災者らが法廷で証言
東京大空襲の被災者ら遺族らが、国に謝罪と総額約十四億円余の賠償を求めた訴訟の口頭弁論が08年11月13日、東京地裁であった。家族を失った原告らが証言した。
(東京新聞08年11月14日朝刊)
東京大空襲とは
45年3月10日午前0時7分から、来襲したアメリカのB29爆撃機325機により33万発もの焼夷弾が、深川、本所、浅草を中心とする下町の住宅密集地に集中投下され、わずか2時間半で犠牲者10万人余、被災者100万人、焼失家屋約27万戸余の被害を与えた無差別絨毯爆撃をいう。
欧米では、通常兵器による無差別爆撃として有名なのはゲルニカ、ドレスデン、ハンブルク、重慶であるが、東京大空襲は、その規模、残虐性においても同等またはそれ以上のものである。
当時アメリカ軍首脳は「日本の家は木と紙でできている。焼夷弾を落とせばあとは勝手に燃えてくれる。」として、無差別絨毯爆撃を行った。その非人間性は明らかだ。一般市民を皆殺しにすることを当然の内容として含んでいたからだ。便箋を考えてほしい。便箋の罫線のように線状に焼夷弾を雨あられと投下していく。その罫線上は火の壁が出来上がる。そしてその線に挟まれた地域の住人はその両側の罫線から迫る戦火で焼き殺されるしかなくなるのである。
東京大空襲で投下されたのはクラスター爆弾
東京大空襲で用いられたのは、集束焼夷弾E46という爆弾であった。木造の日本家屋を効率よく焼き払う為、第二次大戦時に米軍が開発した焼夷弾で、子弾として48発のM69焼夷弾を内蔵するクラスター爆弾でもある。投下後上空700m程度でこれらが分離し、一斉に地上へ降り注ぐ仕組みになっている。
(wikipedeiaより)
米国との平和条約でも国内補償条項があるのではないか
韓国では、日本に強制連行された朝鮮人労働者に対して韓国政府が損害を保障している。これは韓国政府が日本政府とで、これら労働者を韓国政府が補償するとした外交文書が見つかったからであるように聞く。
欧州の対独平和条約中には、戦勝国に対する請求放棄条項と同時に国内補償条項が存在する。
日本の平和条約中には放棄条項のみで国内補償条項は存在しないのだが、実際にはそうした合意ないし密約があるのではないかという気がしてならない。
たとえば交換公文の形をとっている可能性があるのではなかろうか。
ドレスデン、ハンブルク空襲
日本国内では、重慶爆撃は知られていても、ドレスデン、ハンブルク爆撃のことは知られていないのではないか。
英米空軍が、すでに敗戦濃厚のドイツに対して、その戦意を喪失させるため、もしくは西部戦線を進撃中のソ連に対し英米の実力を見せつけるため、この両都市を丸ごと攻撃する無差別爆撃を行ったのである。ドイツの都市であるから石造りであるが、まず通常爆弾で建物の屋根を吹き飛ばし、建物内の構造木材がむき出しになったところで焼夷弾で建物内を焼き尽くす方法をとった。
ハンブルク爆撃では、延べ3095機もの爆撃機により、少なくとも5万人が死亡した。ドレスデンでは死者は3万5000人とも13万5000人とも言われている(当時20万人ほどの避難民もいたため、正確な死者数が分からない)。そしてそのほとんどが民間人だったのである。
ハンブルク爆撃を英国はコードネームゴモラ作戦と呼んだ。旧約聖書の『創世記』に登場する、神により硫黄と火によって滅ぼされたとされる二つの都市がソドムとゴモラである。両都市の住民は背徳と堕落に満ちた生活を送っていたため、神が街ごと滅ぼしてしまい、地図上この二つの都市は消されてしまったのである。このネーミングにこそ、英国側の容赦ない殺戮の意図が見て取れる。
これらの空襲は、「悪事を犯した奴らが今こそ酷い報いを受ける番だ」と言ったことで知られるアーサー・ハリス空軍大将の発案を受け、チャーチルが指示して行った。ハリスはボマー(爆撃屋)とも、ブッチ(屠殺屋ブッチャーの略)とも呼ばれたが、英国では英雄としてロンドン市内に銅像が建てられている。