庶民は世界同時株安をどうとらえているのか

世界同時株安が本格化してきた。世界恐慌の再来かと言われているが、世の中はやけに平和だ。

格差社会になって、国民は勝ち組と、負け組に色分けされた。
両者の間に、思いやる気持ちはなく、あるのは相互不信感だけだ。
だから株価が暴落しても、負け組は株を持っていないから、対岸の火事に過ぎない。対岸の火事どころか、最高の見世物なのかもしれないのだ。

リーマンショックの時がまさにそうだった。
リーマンの社長は何百億円という報酬を得ていたし、20代、30代のエリート社員たちもやはり億単位の年収を稼いでいた。
そういったリーマンが倒産し、社員が段ボール箱を持って、会社を出ていく様を見て、同情した人間より、いい気味だと溜飲を下げた人間の方が多かったのではないか。

精神の貧困?そうかもしれない。しかし、勝ち組の富は、負け組の富を奪って作られてきた。にもかかわらず、勝ち組は、謙虚さを示すことなく、かえって「自分たちが儲けても、社会全体が富んでいくのだから、負け組もその分け前にあずかれるからいいではないか。」といった勝者のおごりがあったのではないか。精神の貧困は両者に等しく存在するのである。

不況は当然、低所得者層の生活をさらに困窮化させる。
2階の火事は、やがて1階にも移ってくる。1階の人間もそれは感じているだろう。しかし、1階の人間は、2階の人間に同情することができないのだ。

9月30日、米下院は、ブッシュ政権による75億ドルの不良債権買取策を否決した。理性的な精神からすれば、否決すべきではなかったろう。しかし理性だけでは、世の中は動かない。それ以上に、感情が世の中を動かすのである。当時米下院議員のところには、地元から「ウォール街の連中に血税を渡すな」という声が沸き起こり、あの結果になったのである。
その後修正を経ての再提案後、不良債権買取は米下院で可決された。しかし、不良債権買取だけでは、銀行の自己資本が減少するだけなので、銀行に国が出資をして自己資本を増強しなければならない。

でもブッシュにそれはできないだろう。不良債権買取でさえ、あれだけの反対を受けたのである。もしそれをしてしまったら、マケインの敗因を作りかねない。
要するに、資本注入は新大統領の下でせざるをえないのである。

先般、ポールソン財務長官が75億ドルの中で、資本注入することも可能となるとの見解を述べたが、まだそこまで時機は熟していない。市場も言葉半分に受け取ったのであろう。その後も株価は下がり続けている。

新大統領はどうやって資本注入するのだろうか。
結局、金融界にスケープゴートが作られることだろう。
リーマンだけでは済まないはずだ。
国民の怒りが大きければ大きいほど生贄が必要になる。
それはまさに国民からするリベンジである。
そうして国民の復讐心が満足されてから、資本注入があるだろう。