死刑制度を考える

4月29日、麻薬密輸の罪でオーストラリア人2人を含む計8人の死刑が執行された。減刑を求めてきた豪州のアボット首相は記者会見を開き、駐インドネシア大使を召還する方針を表明。両国の溝が一段と深まる可能性が高まった。
私もバリに行ったとき、空港で麻薬のイラストに「DEATH PENALTY」と大きな文字で書かれたポスターを見たことがある。
さて、豪州人が日本で死刑になったらどうか、麻薬犯罪だから死刑に抗議したが、殺人罪であれば抗議はないのか。もし、抗議があったら、死刑を執行するのかしないのか。そうした選択に立たされる。法を執行する立場からすれば、日本人については執行するが、豪州人に対しては執行しないなどということはできないだろう。
世界レベルで言えば、先進国で死刑を執行しているのは米国、日本、シンガポール中華民国。もっとも、米国も死刑を廃止した州が18州、執行していない州が2州ある。死刑を実施する国はアジア、中東地域には多数あるが、アフリカ中10国くらいで、欧州、南米では皆無である。
死刑廃止はもはや世界的潮流であり、廃止国の方が多数派である。イスラム国であれば、コーランが、殺人罪と強盗罪について死刑に処するとしているため、死刑を廃止することが宗教上難しいだろう。 しかし、宗教的な理由なくして死刑を廃止しない国というのは世界の中で十数カ国しかない。
確かに、国民の8割は死刑廃止に反対であるし、マスコミも殺人犯に対して死刑を求めたほうが受けが良い。かくして民意に従う限り、死刑は廃止できないということになる。
しかし、現在の死刑廃止国は、国民の反対を押して、死刑を廃止してきた。自分の肉親、知人が殺されたら、犯人を死刑にしていやりたいと思うのは自然な感情であるが、そこをあえて死刑を廃止するのも政治の責任ではなかろうか。