横畠新法制局長官 その品格は?

政府は5月16日午前の閣議で、ガン治療中の小松一郎内閣法制局長官の退任を認め、後任に横畠裕介内閣法制次長の昇格を決め、同日付で発令した。横畠氏は16日、東京都内で記者団から「集団的自衛権の行使を可能にするための憲法解釈の変更は認められるのか」と質問されたのに対し、「解釈は論理的な積み重ねが大事だが、絶対に変えることができないものではない」と語った。
しかし、この発言に怒り心頭な人物が一人いるはずだ。野田元首相だ。野田元首相は、首相在任中の2012年、攻撃に晒された他国軍を自衛隊が援護・救出するための武器使用が可能となるよう、PKO法を改正しようとした。ところが、法制局は廃案に持ち込むべく徹底抗戦をした。首相、官房長が法案を検討するように法制局長に指示するが、一向に進まない。しびれを切らした藤村官房長官(当時)が7月上旬、横畠に進行状況を確認すると、横畠は「正式な指示は受けていない」としらばっくれた。藤村長官がその場で首相の指示書をつきつけると、今度は「内部の行き違いで私の元に届いていなかったのだろう」と言ってのけた。まるで、大阪夏の陣の前の家康の如き答弁である。
当時の法制局では、憲法解釈を変えたら出世はできない。自分がこの問題に関わって出世が遅れたら困ると考えた横畠次長が知らぬ顔の半兵衛を決め込んだというのが当時のマスコミ評である。
役人の鉄則の一つとして「先輩のやったことを否定してはならない」というものがある。一度間違った政策が実行されると、その政策が変更にならないのは、その政策の決定責任者の出世or天下りを妨げることになるからだ。法制局では先輩の憲法解釈を変えることがこれに当たる。
それが、安部政権になったら手のひらを返して、駆けつけ警護を飛び越えて、集団的自衛権も認められるというのだから、呆れる。野田元首相が怒り心頭であると推察する次第である。